エリア・国 | 南アジア (インド) |
宿泊地(宿) | コンスキ峠手前でテント () |
日付 | 2009/10/06(土) (4日目/9日間) |
旅行者 |
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ファンジラ村の散歩
朝7時に起きて、いつものように朝の散歩。
こちらを眺めるおばあちゃん一人。
食事は8時からなので裏山に登ってみる。
村の中心部。写真奥がザンスカール方面。今日は左側の谷を詰めていく。
今日、歩く方向。この谷の先にヒンジュがある。
小さな村の中を歩いていると、ツァンパを作っているおばあさんに出合う。
一つまみもらったが、香ばしくて美味しい。
朝食は、厚手のプーリとオムレツ。フランス人トレッカーのうち女性のニキと一緒に食事。彼女もおいしいと言って、バクバク食べていた。
もう一人のフランス人マトゥ(男)は、腹を壊してダウン中。彼が、最後まで歩けるかどうか不安であったので、食後、ニキと一緒に、私が朝の散歩で出合ったポニーマンを探しに行く。出発準備中のポニーマンを雇い、2人は急な出発。9時。
彼らが出発したのち、私は準備を始めて、9時15分に出発。
宿代は食事込みで200ルピー。
ちょうど、少年たちも学校に行くところだったので、一緒に行くことに。途中から、私は川沿いに進み、彼らは丘を登っていった。
天気は良く最高。開けた谷を歩くのは気持ちがいい。放された家畜たちが、あちこちで草を食べていた。
上を向くと、少年たちがこちらを眺めていた。
少年たちと分かれたところから川沿いを歩いていったが、実はジープ道がヒンジュまで出来ていたので、途中からジープ道に上がる。ジープ道を作るときに崩された土砂が旧道を埋めたりして歩きにくい。
ウルシを過ぎる
ジープ道に沿ってずっと歩き、途中、ウルシの村の下を通る(上の写真はウルシの村。丘の上に広がる村のようだ。)。
ウルシからヒンジュまでは、崖を崩して作られたジープ道を歩く。車は全く通っていない。炎天下の歩き。川脇に道がずっとついているところを見ると、以前は川のすぐ脇を歩いてたと思われる。
ヒンジュ到着
12時15分着。ファンジラから3時間。村の入り口にはいくつかのチョルテンがあった。ゴンパのある中心まではここから10分ほど。
ホームステイの看板がいくつかあったが、さすがにここに泊ってしまうと、明日の歩く距離が長くなってしまうので、休憩だけすることに。
とりあえず、ゴンパ近くで休もうと歩く。
誘ってくれたおじさんの家でお茶とお菓子をごちそうになる。「ホームステイをしないか」と何度も誘われたが、やんわりと断る。
45分ほど、ゆったりと休憩したのち、外に出ると、おばあさんがツァンパ用(?)の麦を干すところであった。
ヒンジュを出発
お茶を飲ませてくれた家(左側)。
ゴンパに寄ろうとも思ったが、一人しかいない坊さんはワンラに行っていて閉まっていたため、寄ることはしなかった。
村のはずれに小学校があり、昼飯中。7人しか生徒がいない小さな小学校。
ジープ道はここまでなので、ここからは踏み跡に沿って歩く。
後ろを振り返ると、ヒンジュの村がだんだん遠くなってくる。
先を見ても、どのあたりに峠があるのか、さっぱりわからない。
ヒンジュの村が見えなくなりそう。
もう、前後に人工物のほとんど見られない景色が続く。
ヒンジュの村を過ぎてから、人に会うことは、完全な一人旅。
本日のトレッキング終了
ヒンジュから2時間歩いても峠は見えず、15時半になったので、本日のトレッキング終了。
テント場。羊飼いの岩小屋の前に張らしてもらう。風除けのためにここに張ったが、結果的には、風の問題は大したことがなく、川脇のもっと平らな場所に張ればよかったと、後悔。
私のテント場から見た峠方向。川脇のほうが広々していてテント場としては優れているだろう。下に降りたのは水を汲みに行った2度だけ。
太陽が出ているうちは、テントの中がポカポカして気持ちが良かった。ごろごろしながら、日記をつけたりしていた。
夕食は、カロリーメイトとキットカットなど。軽量化のため、コンロ等は持ってきていない。
さすがに、熟睡はできず、2時間くらい寝ては起きるということの繰り返し。一度、外のあまりの明るさに驚いて、テントから顔を出したが、その正体は満月であった(誰かが、ヘッドライトでこちらを照らしているのかと思ったのだ・・・)。このことを後日、フランス人に話したら、バカうけ。。。
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