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ミャンマーエリア:東南アジア(ミャンマー) 日付:2004/05/06 (7/10)

マンダレーからバゴーへ


朝6時にバゴー着。町を少し歩いたあと、サイカーで線路をまたぐ橋を越え、バスステーションへ。300チャット。



7時にバスステーションからピックアップトラックが出発。キンプンまで1000チャット。がしかし、このトラック、駅のすぐ近くまで戻るじゃないかぁ!!だまされた。チクショー!!線路を越える橋の袂にトラックの溜まり場がありここで少々人待ち。



途中何箇所か留るところがあり、その一回一回の待ち時間が結構長い。



なぜかチャイトー経由でキンプン着。11時半。チャイトーまではピックアップトラックでチンタラチンタラ来て、ここで車を乗り換えさせられて(出発のバスターミナルは降車したところと離れていたので乗ってきたトラックの運ちゃんにバスターミナルまで送ってもらった)、別のピックアップトラックの屋根の上に乗ってキンプンへ。 写真はキンプンの村の降車場。キンプンに着いたとき、客引きが何人か来た。いつもは客引きの紹介する宿に泊まることはないけれど、今回は客引きの顔を見て判断した。正解。


PANN MYO THU INN


泊まった宿はPANN THU INN。ここも中国系ビルマ人がオーナー。宿はきれいでいいし、なんといっても従業員がいい。本当は3ドルのファンの部屋に泊まろうとしたけど、たまにはエアコン付きでもいいかな、と思い、5ドルの部屋にした。でも夜中2時ごろに停電になり、エアコンの意味がほとんどなかった。あまりの暑さに次の日の朝6時くらいには起きた。外の方が涼しい。








キンプン


メインの通りを歩いていると絶対来る、この子。あまりのかわいさにマンゴスチンを買ってあげる。口癖は「later,later(あとでね)」。



メインの通りの様子。舗装はされていない。道の両脇にはお土産屋などがひしめいているが、あまりやる気はないようだ。。。



キンプンでの食事は宿とオーナーが同じ、中華料理店で。昼飯。あんかけご飯。



夕食。同じ宿の日本人と豪勢に頂く。二人で9300チャット。夕食の途中、いきなりの土砂降り。その土砂降りの中、ぬれた道の真ん中で豚が考え事していた。



泊まっていた宿の脇の小道を通り、メインの通りから離れていくと、広いサッカー場などがある。そのサッカー場の周辺には高床式の住居が多く、子供たちはその家の周辺で泥まみれになりながら遊んでいた。




ゴールデンロック


キンプンのバスターミナル近くにある、チャイティーヨ行きの”ダンプ”乗り場。本当にダンプだからね。ダンプの荷台にすし詰め状態に座らされて出発。片道400チャット。45分でダンプの終点(右の写真)に着くとかいわれるけどそんなに時間がかかった気はしない。途中休憩1回を挟み、黒い煙を吐きながら上っていく。僕はダンプの一番後ろに座っていたため、前に座っている人たちの体重がかかり苦しかった。途中で立ち上がり、そのまま終点までたちっぱなし。これまた横揺れで結構怖い。のぼりの場合は出来るだけ前の方がいいと思う。くだりはその逆。この終点から舗装されたくねった山道を金の玉を横目に見ながら登っていく(30分くらい?)。炎天下の中、上るのはきつい。水を持っていくのを忘れないように!ゴールデンロックへの道は途中からお土産屋にはさまれた土の道に変わり(歩きの場合)、パゴダ手前に料金所があり6ドル(だったような・・・)回収される。





世界的に有名なせいか、ゴールデンロック周辺はかなり綺麗に整備されていて驚いた。





ゴールデンロックを実際に押してみたらわずかでは動く。これ谷底に落としたら、一生ミャンマーの人にうらまれるだろうな。



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    • 展望台から少し下りた見えにくい位置にある1991年の京大隊の遭難碑。見ての通り、日本人の名前だけ読み取ることが出来ないくらい削られている。 今まで行ったことのある四川省や雲南省などでは「リーベン(日本人)」という言葉が即通じることはほとんどなかった。しかし、この梅里雪山周辺においては、この言葉は一発で通じる。やはり、この大量遭難が今をもって大きく影響していると思われる。また、この展望台に並んでいる宿では毎晩、91年の遭難のビデオが流されていているため、将来に渡って、この遭難の記憶が薄れることもないのだろう。 夜になってから、上海人の彼女の体調が悪化。宿の人が酸素ボンベなどを持ってきてくれたりしたが、それでも苦しそうであった。


    • 「ジー」っとこちらを見ているヤク。

    • そこそこ立派な門構え。高そうだなぁ…。

    • 当時の地図。

    • 640m峰から一気に下り十数分でテン場に戻ってきた。

    • 通常の渡し舟は、こちらも同じく、ストで止まっていたので、観光用のボートで、フォート・コーチンに行く事に。ローカルボートのチケット売り場は閑散。

    • ジェオリ到着。

    • ラオス側のイミグレに到着したのは9時30分。ここで出国の手続き。ここから、再度バスに乗り込み、ベトナム側のイミグレまで移動する。ちなみに、ラオス側のイミグレを出たのは10時20分。