モロッコ

エリア・国アフリカ (モロッコ)
宿泊地(宿)フェズ (Hotel Mauritania)
日付2012/01/02(金) (11日目/14日間)
旅行者

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フェズ散策

5:30フェズ駅前に到着予定だったバスは、4:30に到着。外は真っ暗で寒い。もっとバスの中で寝ていたかった。すぐ近くにIbis Moussafir Fesというホテルがあり、フロントに料金を聞いたら(確か)1泊5,000円位だった。私は全然問題なかったが、友人はもっと安い宿を希望しており、夜明けまでフェズ駅で仮眠して時間を潰すことにした。

フェズ駅の電光掲示板。時間があるので、切符売り場で翌日9:50発のカサブランカ行き列車2等席のチケット(110DH)を買っておいた。

夜が明け、駅の近くの食堂でパンケーキとアボカドジュースの朝食(20DH)。そして「地球の歩き方」に載っていたユースホステルに行く。8:00から受付と書いてあったので8:00ちょうどに着いたのだが、10:00までチェックインができないらしく、メディナ(旧市街)で安宿を探すことに。

王宮の正門。ユースホステルからメディナに向かう途中にある。

メディナ入口のブー・ジュルード門をくぐってすぐ右手前にある安宿Hotel Cascadeは満室でダメ。隣のHotel Mauritaniaが空いていたのでチェックイン。しばらくゆっくりして、11:00から散策に向かう。友人とはまた別行動することにし、18:30宿集合にする。

メイン通りでもこの広さ。マラケシュのメディナはバイクが通り、気を使ったが、フェズのメディナはバイク乗り入れ禁止みたい。

ブー・イナニア・マドラサにて。ジュラバをまとった老人。

狭い道でご婦人方が井戸端会議ならぬ道端会議中。

迷路と称されるフェズのメディナ。こんな細い路地も生活通路になっている。

メインの道は人が多く活気がある。

やはりここでもロバさんは活躍。

カラウィン・モスクに接するサファリーン広場(広場という程、広いスペースではない)。

カラウィン・モスクを東に進むとタンネリ地区。適当に歩いたので、定番の地区には辿り着かず、小さな川を渡り、川沿いに北へ進むと、川を隔てて対岸がタンネリ地区となっていた。

川の汚さが印象的。この川の水質汚濁はかなりのもの。

川沿いの建物の前で、テラスに上がらないか声をかけられる。いくらか聞くと10DHと言われる。特に高いとは思わなかったので、せまい階段を上がりテラスに出ると、写真で見たことのある格子状に染色桶が並んだ光景が目に入る。

テラスの上から。左がさっき対岸を歩いた川(西側)。この建物のテラスにも観光客が何人かいたが、右手にある建物の方がテラスに沢山の観光客らしき人がいた。

テラスを下りると、下の階の革製品売場に案内される。これは想定範囲内。何も買わずさらに下の階に下り、さっき入ってきた出入口で外に出ようとすると、100DHを請求してきた。出入口は裏口のようにせまく、屈強そうな黒人の男もおり、通せんぼされた形。はめられたと思うが、ここはにこやかに相手の肩をたたきながら、「10DHって言ったよね」みたいな感じで、あくまでもフレンドリーに交渉。しかし、状況的に相手に主導権を握られており、全く通じない。すると、観光客らしき老夫婦が中に入ってこようとしており、通せんぼ状態の男が、老夫婦が入れるよう動いた隙にササッと外に出た。外には人も通っており、いざとなれば助けを呼べる。こうなりゃこっちのもの。そのまま走って逃げることもできたが、律儀な私は振り返り、何も言わず約束の10DHを男に手渡し、この建物を後にした。

カラウィン・モスクの入口の天井。残念ながらイスラム教徒以外はモスクの中には入れない。

狭い道なんで、こんな荷物が交差点を曲がるのは大変。

メディナの北側で一旦外に出てみる。出た先は交通量の多い道路を挟んで向こう側がマリーン朝の墓地がある丘になっている。丘といっても断崖になっていて、登り口が見当たらない。そこでマリーン朝の墓地には行かず、メディナを出てすぐの丘を登る。

メディナを出てすぐの丘。城壁の向こうがメディナ。この真後ろに道路を挟んでマリーン朝の墓地の丘がある。

マリーン朝の墓地の丘を、羊飼いが羊を引き連れ散歩している。

城壁伝いに丘を登ると出入口があり、再びメディナ内に入る。入った先は展望のいい草地になっている。その先を見ると、ここも墓地になっている。

丘に咲いていた花。

丘の上からメディナの風景をみながら佇んでいると、男が下から登ってくる。すれ違いざまに、ついてくるように言われ、男は城壁の上に登っていく。なんかうさんくさかったので彼を無視し、そのまま丘に佇む。男はそのまま城壁を歩いて行き、城壁の上に座っている観光客らしきカップルの横に座って話し始めた。

丘の上からの展望。染色した革が干されている。

丘の上の墓地。

墓地の方に進み、写真を撮ったりしながらブラブラし、そろそろ丘を下りようと歩きはじめると、さっきと別の男が寄ってきて、自分はガーディアン(監視員)だと言い、お金を請求してきた。自由に出入りできる丘だったので、すぐに嘘だと察し、何を言っているか分からないふりをして丘を下りる。すると執拗についてくるので、さっき城壁の上に連れて行こうとした男も同種だと思い、城壁の上にまだいる男を指さし、もうあの男に払ったよと伝える。すると、諦めたのかついてこなくなった。宿に戻った後、友人に話すと、友人もここで同じようにお金を請求されたようで、無視して帰ってきたそうだ。

丘の上から。

丘を下り、またメディナを歩く。メイン通りはできるだけ使わず、路地をブー・ジュル―ド門方面に向かうよう歩く。

路地の先は行き止まりになっていることもしばしば。

ブー・ジュルード門北側の青空スーク。

メディナの北西部をぐるりと回り、まだメディナの外に出て、幹線道路沿いをマリーン朝の墓地の丘へ向かう。ホテルLes Merinidesの真下あたりに丘へと続く小道があり、そこを登りきると丘の頂上。丘の上には警察官がおり、不届き物がいないか監視しているようだ。したがって、観光客からボッたくろうとする人に声をかけられることはなかった。

丘からの展望。道路を挟んで向こうがメディナ。

カラウィン・モスク方面。

丘の上には遺跡が残っている。この辺一帯は、観光客だけでなく地元の人の憩いの場になっていた。

丘の上からメディナと反対方面。こちらの景色もなかなか良い。

マリーン朝の墓地を通り、さっき道路を隔てて見えた丘の東の端へ行くと、やはりこの辺は崖になっていて下りるルートが見つからない。仕方なく元来た道を戻ることにする。

眼下の新しい墓地ではちょうど葬儀をやっているようだ。

友人との集合時間までまだ2時間あるので、さっきと違う所からメディナに入り、また散策。

メディナで会った子供達。

迷路とはいわれるが、方向感覚さえ間違えなければ、だいたいの現在地は把握できる。

公共水道。メディナ内のあちこちでみかける。

汚染された水が集まり、濁流となって下流へと流れていく。

モスクではちょうどお祈りの時間。

Y字路に店を構えるドライフルーツ屋。この辺りの店でもひときわ照明が明るい。

ライターのガスを口の中にためて、燃やした紙に息を吹きかけると・・・

18:00を過ぎ、かなり暗くなってきた。18:30に宿に集合なのでそろそろ宿に帰らなければ。自分の感覚でブー・ジュルード方面(西)を目指して歩くが、道がカーブしたりして、方向感覚が分からなくなってきた。いつの間にかにメディナの外に出てしまい、空に浮かんだ半月を見て、明るい半分の方向が西側なので、そのままメディナの外の道路をそちらの方へ歩くが、道が左にカーブして南方面へ向かうようになり、メディナからも離れていく。これはやばいと思い、また来た道を戻る。その辺の人にブー・ジュルード門はどっちか聞いても、うまく通じない。おまけにメディナと思っていたところが、メディナはあっちだと言われる。現在地が分からなくなり、迷子状態。最後の最後でフィズの迷路の洗礼を浴びてしまった。やむなくタクシーを拾い、ブー・ジュルード門まで送ってもらった。

道に迷ったと自覚する前。子供達と戯れる余裕があった。しかしこの時には既に私の現在位置の感覚と実際の現在位置は全くずれたものになっていた。

19:00頃に宿に到着。友人に、心配させたことを詫び、夕食へ。宿のすぐ下にあるレストランでタジンとクスクスを1品づつ頼み、友人とシェア。その後、友人がインターネットカフェに行くということで自分もついて行き、明日のカサブランカ発の飛行機をWEBチェックイン。搭乗券はプリントアウトできないが、これでオーバーブッキングで席がなくなることはないだろう。ネットは30分で5DH。ケバブとアイスを食べてから宿に戻った。

メディナ内のケバブ屋。3本で10DH。

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