エリア・国 | 南アジア (インド) |
宿泊地(宿) | スムダ・チェンモ (民泊) |
日付 | 2009/10/07(土) (5日目/9日間) |
旅行者 |
HOME | 概要 デリー空港 ラマユル ファンジラ コンスキ峠手前でテント スムダ・チェンモ スムダ・ド レー レー→デリー→成田
テント場を出発、コンスキ峠へ
6時ごろ、もぞもぞと起きだしてきて、出発の準備を始める。 まだ、谷の底まで太陽の光が届かないので、薄暗い。
手がかじかむほど寒かったが、テントを畳んで、水を汲んで出発する。7時。
テント場から一度、川沿いまで降りる。
あとは、川のすぐわきを歩く。川の流れは途中からなくなり、石のごろごろした緩やかな登り道を歩く。
川を詰め切ったところから、左手に峠に続く道があるので、そこを登る。あとは、ひたすら、ジグザクの道を登る。また、朝早いため、風は強くなかったが、耳が冷たく、目出帽を出して被る。峠のタルチョが全然見えないため、あとどのくらい登ればいいのか、検討がつかず。
後ろを振り返ると、いままで歩いてきた道がずっと見える。この写真では見えないが、ヒンジュの村も谷の合間に小さく見えた。
安定して休める場所は、数か所しかない。急なガレ場の登り。
延々と登りが続く。
タルチョの頭が見えた時は、元気100倍。やっと峠だ!道は、この辺から、なぜがタルチョから遠ざかるほうに続くが、遠回りしながらもタルチョにつながる。
10時に到着。テントを出てから3時間の登り。高所に弱い私としては、まずますのスピード。
風が少しあり、肌寒かったが、30分くらい山頂で休んだ。周り360度見渡しても、もちろん誰もいない。
ヒンジュ方面。
峠のタルチョ。
これから下るスムダ・チェンモ方面。10時半、峠とおさらばして下り始める。
峠方向を振り返る。すぐに峠のタルチョは見えなくなる。峠がなだらかで広いからだ。
急な下り坂を降りて、河原に到着。ここからは緩やかな下り坂。
キノコ岩。あちこち見られる。
何度も休憩をはさみながら歩く。
右手に切り立った大きな沢筋が出てきたら、スムダ・チェンモはすぐ。
スムダ・チェンモ到着
スムダチェンモ村の入り口。14時到着。テント場から7時間。
とりあえず、良さそうなホームステイ先を探すため、村の中を歩き回っていると、先にこの村に到着していたフランス人に「こっちだよー」と言われ、同じ宿に泊まることに。フランス人のマトゥは体調を悪化させ、完全にダウン中。そのため、私が成田空港で買っておいた正露丸を飲ませた。
入り口には色とりどりの花が咲いており、また、広い庭もあって、理想的な宿。
荷物を宿において、お茶を飲みながら一息ついたのち、村のゴンパへ。
へミスと同じドクパ・カギュ派のお寺。坊さんはレーにいていなかったので、お寺の隣に住んでいる人に話すと、中を見せてもらった。
私がホームステイで泊まった隣の家も大きく、入り口の上には3連チョルテンがあった。
夕方から村のあちこちで、脱穀作業。牛を使っているところや、馬を使っているところなど、家によって違っていた(馬のほうが動きが速くて効率が良いような気がする)。
女性陣が麦を継ぎ足し、男性が歌を歌いながら、牛を追っていた。
夕食の用意
ニキが夕食の手伝い。メニューはチュテキ。
小麦粉を練って、コップでくりぬいた餃子の皮のようなものをこのような形にする。
まぁ、トゥクパみたいなもの。体調を崩していたマトゥも、私の正露丸のパワーで少しずつ良くなってきて、夕食は食べられた。それにしても、夕食時にマトゥが「日本やフランスでは、夕食を作るのにこんなに時間をかけることってないよなぁ~」と言っていたのが、なんだか印象的であった。
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