イスラエル

エリア・国中東 (イスラエル)
宿泊地(宿)エルサレム (Petra Hostel (ペトラ ホステル))
日付2017/08/13(金) (3日目/10日間)
旅行者

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エルレサム旧市街の朝

朝7時位の旧市街。昼間なら、道の両側にパレスチナ人の店が並んでいるけど、今はまだシャッターを下ろしている。

嘆きの壁

嘆きの壁は、1948年以降、ヨルダンの管理下だったけど、1967年の6日間戦争後はイスラエルの管理下となった。ユダヤ人にとっては、これで、約1900年間の悲願が達成されたことなっている。

嘆きの壁に近づくには、帽子をかぶらないとならない。帽子は、広場入口に置いてあるので、それを借りて入場。布でできた帽子が置いてあったこともあったし、紙でできた帽子が置いてあったこともあった。なお、ノースリーブや短パンでは壁に近づくことはできない。

さらに、男性は左側の壁、女性は右側の壁と祈る場所が分けられている。

嘆きの壁。現在の壁の高さは21m。下から7段目までは第2神殿時代のもの。その上の4段がローマ時代に付け足された部分。さらにその上にある小さな石の壁は、マムルーク朝時代のもの。地下には、第2神殿時代の石が、まだ17段も埋まっているとのこと。

壁間際では、熱心なユダヤ教徒がお祈りをしている。壁に近づいて、壁の石をよく見てみると、石と石の隙間には、人々の悲願を記した紙切れが詰まっていた。

中国人は、壁間際まで近づいてバシバシ写真を撮っていたけど、多分日本人だとあまりバシバシ撮れるような雰囲気ではないと感じると思う。

嘆きの壁の近くのパン屋

嘆きの壁の近くのパン屋。パレスチナ人がオーナーかな。3個買って1000円くらいだったけど、固くて味は微妙だったような。

糞門(モロッコ門)

糞門という名の門の近くの広場で、さっき買ったパンを食べる。この門は、ヨルダン統治時代に広げられ、唯一大型車が通れるようになっているので、観光バスとかがここを通って旧市街に入ってくる。

なぜ、ここが糞門かというと、かつてここの門を通って、人々の排泄物を運び出していたからだそうだ。また、アラビア語では、この周辺にモロッコからの移住者が多かったとかで、モロッコ門となっている。

神殿の丘(岩のドーム)へ

観光客が神殿の丘に入るには、おそらくモロッコ門(先程のモロッコ門とは別、嘆きの壁の並びにある門のこと)からしか入れない。モロッコ門までのルートは、ちょっとわかりにくい。糞門近くのセキュリティゲートがあるので、ここを通って、嘆きの壁を見下ろしながら歩ける空中歩道橋を通って、モロッコ門をくぐる。

ムスリムなら、神殿の丘へのルートはいくつかあるようだが、観光客に開放されてところは、たぶんここ以外ない。

岩のドーム

モロッコ門をくぐると、岩のドームの広場に到着。この辺は少し高台になっている。アル=アクサー・モスクも、岩のドームもムスリムでないと入れないので、外側だけを堪能。

この丘は、ソロモンの神殿があった場所とされ、ダビデが神の契約の箱を置いた場所とも言われている。現在残っている神殿の土台部分は、ヘロデ王により紀元前20年に建てられたもので、2000年前にはイエスも頻繁に訪れたとのこと。

写真は、エルサレムのシンボルともなっている岩のドーム。預言者ムハンマドが天使を従え、天馬に乗って昇天したと言われている聖岩を抱きかかえるように建っているらしい。岩の下の洞窟は、アブラハム、ダビデ、ソロモン、ムハンマドなどの聖人が祈りを捧げたところと言われ、ムスリムは「魂の井戸」と呼び、最後の審判の日が訪れたときに、すべての魂がここに集まるとしている。

アル=アクサー・モスク

岩のドームを建てたカリフ、アブドゥル・マリクの息子、ワリード1世が715年に建立した建物だけど、その後、地震などによる崩壊と修復を繰り返している。20世紀に入ると、ヨルダン王暗殺事件や、狂信的キリスト教徒の放火事件が起きたところ。ここも、ムスリム以外入れない。

木綿商人の門

なんだか目立つ木綿商人の門。

木綿商人の門の反対側。

岩のドームの周りをぐるっと見た後、裏側の赦免門(神殿の丘の北側)から出る。

ヴィア・ドロローサへ

キリストが十字架を背負ってあるいたヴィア・ドロローサへ行こうと、岩のドームの北側にある道に抜ける。

聖ステパノ門を見た後、聖アンナ教会へ(上の写真)。聖アンナ教会は、聖母マリアの生まれたところとされている。

聖アンナ教会の下にある洞窟。聖母マリアは、ここで生まれたとのこと。

ベセスダの池

聖アンナ教会の庭にあるベセスダの池という、ヘデロ王が造った池がある。キリストがここで病気に悩んでいる人を癒やしただとか、、

ヴィア・ドロローサ

ヴィア・ドロローサの道。

イエスがローマ帝国の総督、ピラトの邸宅で行われた裁判で有罪とされてから、十字架を背負って歩くゴルゴダへの道が、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)と言われている。全長1kmくらい。ヴィア・ドロローサは、第1留のピラトの邸宅(アントニオ要塞)から、ゴルゴダにある聖墳墓教会まで14留あり、それぞれの場所に、数字の入った看板?が掲げられている。

第1留のピラトの邸宅の場所がよくわからず、第2留のムチ打ちの教会からスタートした。

エッケ・ホモ教会

ヴィア・ドロローサのポイントとは関係ないけど、途中にあったエッケ・ホモ教会にも寄ってみた。9シュケル。この教会の地下にあるローマ時代の遺跡が思いの外、大きくてびっくり。2000年も前の遺跡がこんなにしっかりと残っているなんて。

入場料は9シュケル。

途中の商店街。

第3留:イエスが最初につまずいた場所

十字架の重みに耐えかね、最初にイエスが躓いた場所。ポーランドのカトリック騎士団が小聖堂を建て、現在は、アルメニア・カトリック所属。

この教会にも地下道があり、第3留と第4留が地下でつながっている。この地下にあるビザンツ時代のモザイクにマリアのサンダルが描かれている。

第4留:苦悩の母のマリア教会

マリアが十字架を背負ったイエスを見たとされる場所。アルメニア人が建てた苦悩の母のマリア教会があり、教会の入り口には、その様子が描かれている。3留の地下洞窟を出たら4留のここの教会から出てきた。

第5留:シモンがイエスの代わりに十字架を背負う

クレネ人のシモンがイエスの代わりに、十字架を背負わされたところ。

商店街。

第5留:ベロニカ教会

この場所で、ベロニカという女性が、イエスの顔をハンカチで拭うと、そのハンカチに、キリストの顔が浮き上がったらしい。そのハンカチは、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に保管されているみたい。

第7留:再び躓く

ここに裁きの門と言われるものがあり(あった?)、その敷居で、イエスが躓いたとのこと。2度めの躓き。

第8留:鞭打ちの教会

ここは、イエスがエルサレムの娘たちに、「私のために泣くな、自分たち、また、自分の子供たちのために泣くがよい」と語った場所と言われている。

現在建っている聖ハラランボス・ギリシア正教会の修道院の壁に埋め込まれている記念の十字架。

第9留:3度目に躓く

メインの通りから、坂道を上がっていったところにある。ちょっとわかりにくい。写真にある十字架が置かれたところではなく、その奥の入口の左脇にある円柱のところで、イエスが3度目の躓きをしたとのこと。

聖墳墓コプト教会の入り口。この円柱のところで躓いた。

第10留:ゴルゴダの丘(聖墳墓教会)

ここからの5留は、すべて聖墳墓教会の敷地内にある。パレスチナ人のおじさんからターバンを買わされた?

十字架から降ろされたイエスの亡骸に香油を塗った場所。一畳ほどの大理石の板がある。

香油を塗った場所から、左手に進むと、イエスの墓が見えてくる。写真は、イエスの墓の方から入口側をみたところ。

第14留:イエスの墓(聖墳墓教会)

ヴィア・ドロローサの終了地点。イエスが墓に納められたところとされている。現在は、聖堂になっており、天使の礼拝堂の奥にある小さな部屋に墓石が収められている。聖墳墓教会の中でも最も重要な場所。

内部は狭く、2~3人しか入れないため、みんな列を作って待っている。列を崩したり、ゆっくり見たりしていると牧師に怒られる。

イエスの墓の裏側にある聖堂。

殉教聖堂

入ることはできない。覗くだけ。

殉教聖堂の天井。

イエスの十字架が立てられたところへ

入り口右側の急な階段を上がったところに、イエスの十字架が立てられた場所がある。そこから下を覗くと、最初にみたイエスが香油を塗られた場所を見下ろせる。

第12留:息を引き取る(聖墳墓教会)

磔にされたイエスのイコンがあり、祭壇の下の岩、印のあるところが、磔になったイエスの十字架が立てられ、息を引き取った場所という。みんな順に祭壇の下に頭を入れ、お祈りしていた。

十字架発見の場所へ

十字架の破片が見つけられたとされた場所に行こうとしたが、あちこち工事中で入れず。

聖墳墓教会から出る

聖墳墓教会の前庭。

商店街散策

ヤッフォ門の外側の地下に、結構大きなモールがあるので、散策。

エルサレム旧市街から出る

ヤッフォ門を出て、シティーホールの方に買い物に行ってみると、途中の公園で、ライブが行われていた。

宿屋上からの夜景

宿の屋上から見た神殿の丘。

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