エリア・国 | 東南アジア (ラオス) |
宿泊地(宿) | ライチャウ (PHUONG THANH HOTEL) |
日付 | 2012/01/05(水) (9日目/13日間) |
旅行者 | ![]() |
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ディエンビエンフー観光
6時50分に宿を出て、とりあえず、A1の丘を目指す。

暇なバイタクたち。道端でタバコを吸っている。
A1の丘

迫り来るベトミン軍に対して、最後までフランス軍が立てこもった丘の一つ。まだ、朝が早いせいか、チケット売り場が開いておらず、勝手に入れた。
丘の周辺に塹壕が残っているが、これらは、みんなコンクリートで模されたもの。

丘の上には、記念塔が立てられていて、ここから木々の間をぬって、ディエンビエンフーの街が見下ろせる。

丘の頂上付近。

壊れたフランス軍のM1戦車が置かれている。

丘の裏柄には、ベトミン軍の960kg爆弾により大きく陥没した地形も見られる。

近づいてみたところ。

丘の麓には、フランス軍と、ベトミン軍の兵器が陳列されている。

フランス軍のほうが、先進的な感じのものが多いけど、補給がないと単なる鉄くずということか。
ディエンビエンフー博物館

改修工事中。あまり広い博物館ではなかったようだ。
旧ムオンタイン橋

フランス軍がナムゾン川にかけた全長30mほどの橋。今でも使われている。
ド・カストリーの司令部跡
歩き方の地図には、新しい幹線道路が載っていないので、ちょっと迷う。現地の人に聞いて場所を確認。

フランス軍のディエンビエンフー基地の総司令部跡。当時の地下壕は、少数民族に切り出させた丸太を天井に渡し、鉄板を敷いた上に、2.5mもの土を積み上げ、さらにその上をカマボコ型の天板で、覆っていたとか。

階段を降りて、内部へ。

内部は、中央の通路を挟んで左右に4室ずつ部屋がある。

これが、ド・カストリーの司令室。

街のところどころに当時の残骸が残っている。
ニョ市場

旧ムオンタイン橋を渡ったところにあるニョ市場。


鶏肉市場。

ニョ市場から、裏道を通って宿まで戻り、昨日と同じように朝食を取る。
注文前に価格を確認したら、(当然だけど、昨日同じ価格で)「フォーは20000ドン」と、宿のおばちゃんは答える。しかし、食べたあと、いきなり「25000ドン」とか言い出しやがってお釣りを返してくれない。ここで一悶着。
結局、おばちゃんは、こちらの粘りに負けたけど、どうして、こういうことを宿泊客に対して平然と言えるのか、不思議だった。
これからのベトナム旅行に不安を覚える。こんなのばかりだと非常に疲れると。。。
ディエンビエンフーを出発
食後、バスターミナルにライチャウ行きまでのバスチケットを買おうと行ってみると、すぐに出発するという。でも、少し待ってやるというもんだから、宿に急いで戻って、チェックアウト。

10時5分、ディエンビエンフーを出発。ライチャウまで120000ドン。
嘔吐する人が多く、みんなビニール袋を握りしめている。

休憩で止まった食堂の便所には豚が、、、
モンライに到着

モンライに到着。13時半。モンライからずっと人工湖?の脇を走ることなる。

途中、道路工事でなかなか進まず。どんどん車の列が長くなり、バイクは割り込んできて列の先頭にバイクの集団が出来上がった。
バイクの荷台のかごに、犬を入れている人がいたが、あれは食料だったのだろうか? かわいそうに犬は酔っているのか、大量のヨダレを垂らしていた。
乗っていたバスは、並走していたバスに客を取り負けないようにしたためか、これ以後、猛スピードで走りだす。
ライチャウ到着

19時、ライチャウ到着。もう真っ暗。バスターミナルを出た所で、バイタクに捕まり、50000ドンで宿まで連れていってもらうことに。
宿は、バスターミナルからあまり離れておらず、歩いてもいけるところだった。
夕食

宿近くの食堂で夕食。朝食での経験を踏まえ、若い夫婦がやっているところを探す。何を注文していいのかわからなかったので、入り口近くのテーブルに座っていた人と同じものを注文。50000ドン。
これは、美味かった。
何だか、移動につかれた日で、シャワーも浴びずに爆睡。
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