エリア・国 | 中東 (イラン) |
宿泊地(宿) | テヘラン② (Mashad Hostel) |
日付 | 2025/05/04(土) (9日目/11日間) |
旅行者 | ![]() |
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旧アメリカ大使館へ

Emam Khomeini駅から、Line1で、Taleghani駅ヘ移動し、旧アメリカ大使館へ。入場等は200万リアル/人。以前は、公開されていなかったみたいだけど、現在は、中を見学できる。
ここは、1979年11月におきたイランアメリカ大使館人質事件の舞台。アメリカが海外に亡命していたパフラヴィー元皇帝を受け入れたことにイスラム法学校の学生らが反発し、抗議デモを行われた。
その過程で、学生と暴徒たちが大使館の建物内に侵入し、アメリカ人外交官や海兵隊員など計52人を人質にとり、パフラヴィー元皇帝のイラン政府への身柄引き渡しを要求した。

カーター大統領は、1980年4月24日から4月25日にかけて、軍事力による人質の奪還を試みたが、C-130輸送機とヘリコプターが接触し、炎上するという事故が起き作戦は失敗。そのときの残骸が中庭に展示されている。


大使館の中にある盗聴防止用の部屋。大使館の中には、こういうものが普通あるもんなのだろうか。2重の透明なプラスチックの板に囲まれた部屋で、その中で会議をしていたよう。

大使館員などは、大使館が占拠されるまでのわずかな間に、機密書類やドル紙幣をシュレッダーにかけたり焼却処分にしたほか、通信機器やビザのスタンプなどを破壊したよう。
ただ、シュレッダーにかけられた書類の多くは、イラン当局に動員された主婦や子供たちにより時間をかけて復元され、機密情報がイラン当局側に渡ることになった。そのときのシュレッダーの機器や、復元された文書なども展示されていた。
展示を見ていたら、職員に声かけられ、当時のニュース番組(ABC)も見せてもらえた。
イラン国立博物館

イラン最大の博物館。建物は本館と、別館があり、別館(イスラム世界となった以降の展示がされている)のほうは改修中?のため、タダで入れる。本館の入場料は、400万リアル/人。
年代順に並んでおり、イランの歴史を並ぶには良かった。もっと、オアシス都市にもフォーカスを当てても良かったかもしれない。

イランとの国境近くのスーサという都市で見つかったスポーク式の車輪。紀元前2800~1900年のものらしい(ちなみに、1901年には、ルーブル美術館に保管されているハンムラビ法典碑もスーサで発見されている)。
階段のレリーフ

ペルセポリスの中央宮殿南側に設置されていた階段のレリーフ。階段の手摺の外側には、ペルシア軍の兵士が、内側には、生贄を持ったペルシアやメディアの神官が彫られている。

階段のレリーフを正面から見たところ。
他にも、ペルセポリスの牡牛の柱頭や、謁見の間になったレリーフなども展示されていた。
バーザール

ガージャール朝以来、テヘラン経済の中枢としての役割を果たしてきたバーザール。内部はまるで迷路。香水、絨毯などのお店は、固まって出店されている。
イラン人のためのバーザールという感じで、土産物のようなものはなかったように思う。混雑していて、きれいではない。アジアの市場と同じ感じ。
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バーザール北側のバーンズダヘ・ホルダード通り。こちらもかなりの混雑。

チュロウ・キャバーブ×2、ペプシ、ハーブ入りヨーグルト?で、470万リアル。昨日と同じ店で、また食事。美味しい。トマトの数が増えていた。

宿への帰り際に、ジュースと、ノンアルコールビールを買って帰った。
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